「友達」という言葉を聞いて、あなたはどう感じますか?
「仲の良い友達に彼氏が出来た。その途端、その友達は違う友達を作ってしまった。
寂しさから、友達に詰め寄ったら、関係がこじれた」
…こういった話を、耳にしたことがある方もいるでしょう。
実際によくある話ともいえます。
仲が良い友達と気まずくなるのは辛いことですね。今回は、友達との関係について考える記事です。
友人関係はなんのためにあるのか
多くの人があまり考えることなく、ふだん「気が合う」という感覚だけで一緒にいるのではないでしょうか。
もちろん、難しく考える必要はないのですが、これだけ考えてみてほしいのです。
あなたの友人は、「あなたにとって何のために存在しているのか?」ということです。
つまり、その友人との関係性です。
女性には、「信頼できる仲間と情報を共有したい」という欲求があります。
友人関係に何を持ち込んでいるか?によってその関係性は変わってくるのです。
共有するものを定義する
「友人とは〇〇を共有しあう」
そんな風に定義してみると、それ以外のことをその関係性に持ち込むことは無くなります。
たとえば「友人関係には、お互いの幸せを共有しあう」と定義し、それ以外のことは、基本、持ち込まないとします。
幸せの定義は人によるでしょうが、「愛と感謝」である場合…
愛は自分らしさであり、感謝は自分らしくある時、湧いてくるものなので、愛と感謝を持ち込めない関係は友人とは呼ぶ必要がありません。
「では、相手に自分のことを相談したりしてはいけないの?」となりそうですが、そんなことはありません。
背中を押して欲しいとき、自分のことがわからなくなったとき、友人は本当に心から応援してくれる最大の味方といえます。
友達が幸せになった瞬間離れる理由
冒頭で書いたように、友達が幸せになった途端に離れていく場合、何が起きているのでしょうか。
それは、
「相手の幸せを望む関係ではなく、〇〇を共有する関係性だった」
ということです。
〇〇には、色々なものが当てはまります。
- 不満
- 悪口
- 悲しみ
- 利益
- 勝ち負け
- 存在意義
これらを共有していた関係の場合は、共有できなくなった途端に崩壊してしまいます。
「友達だと思っていたのに」
という気持ちの裏には
「〇〇を共有する関係だと思っていたのに」
という気持ちがあります。
相手の幸せを願えば繋がれる
共有するものがなくても、相手の幸せを願う気持ちは制限がなく、どこまでも深いつながりを持つことが出来ます。
時間も、距離も、性別も超えて、深く深く繋がりを感じることができるでしょう。
いつも一緒にいるから友達なのではありません。
自分が「幸せになってほしいな」と思う人で、あちらも同じに思ってくれるならば、数年に一度しか会わなくても友達なのです。
言葉も距離も、出会ってからの長さも関係なく、同じ波動の人は「魂友」と言えるでしょう。
友達と魂友、どちらが上とか下とかもありません。
螺旋階段のように上に登っていく人生の中、同じスピードで同じ景色を見て、同じ目的地へたどり着く人は魂友となります。
先に行く人、後ろから来ている人たちは友達となります。
上がるスピードは人それぞれで良く、ずれて来ても問題ありません。
ただ、踊り場で立ち止まり、行く手を阻む行為をしたくなる時は、既に友達ではないといえるでしょう。
相手の幸せを願うと自分の答えが見える
また世の中の流れとして、友人関係の入れ替えが起きるのは普通のことです。
それぞれが、自分の歩みと同じスピードで
同じ目的の人達、つまり、同じ波動の人としか一緒にいられないのです。
これから、そのスピードはどんどん早まっていくことでしょう。
恐れることはありません。
お互いに、それが最善であり、幸せな選択なのです。
そこに、執着を持ったり、自分が相手に合わせることはしなくていいのです。
ただ、相手の幸せを願ってみる。それだけで、自分の中に全ての答えが見つかります。
これは男女のパートナーシップにも言えること。
自分の悲しみに取り込まれてしまって相手の幸せを願えなくなっている状態や、彼に執着している状態は、彼に原因があるように思えて、実は自分の課題だったりします。
自分の課題を、相手のせいにしていてはこれは、もはや、愛ではありません。関係性を見直す必要があります。
自分と他者との間に何を持ち込んでいるか?
改めて考えてみましょう。
この記事の内容は、立川ルリ子ブログの掲載内容を加筆・編集したものです。
小嶋 由希子
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