日頃当たり前のように使われている「ギブ&テイク(give and take)」という言葉。
場面によって意味合いは多少異なるかもしれませんが、「してもらったらお返しする」という意味で使っている人が多いかもしれません。
今回は、このギブ&テイクにまつわる「光と闇のルール」について解説します。
ギブ&テイクの場面
世の中では一般的な「してもらったから返すね」というやりとり。
たとえば、プレゼントをもらったから返す、SNSのいいね返しなどがあります。
お返ししてもらえなくても何とも思わない人もいる反面、お返ししてもらえない…という出来事から、
「返してもらえないのは自分に価値がないからだ」
「返してもらえないのは、愛情がないからだ」
と感じる人もいることでしょう。
夜の世界における実例
ギブ&テイクはビジネスでも当たり前のように発生しています。
立川ルリ子が以前、ラウンジを経営していたことはご存知の方も多いと思います。
今回は、夜の世界の常識を例に解説してみましょう。
夜の世界のギブ&テイクといえば、次のようなものがあります。
・お客様を紹介する→こちらも紹介する
・紹介されたがお客様来る→必ず紹介者の店に連れて行く
・お店に遊びに行く→うちにも来てもらう
・来てもらったら、相手の店にも遊びに行く
暗黙の了解のような業界の空気があり、同業の人であればわかるかもしれません。
夜の世界は、義理を大切にする世界ともいえます。
義理を欠くと、昨日の友は今日の敵にもなりかねません。
これを常識だと思っている同業者の人も多いでしょうが、どうしてもそこに馴染めないという人もいます。
そこに挟まれる「お客様」の気持ちや、自分自身が行きたいお店かどうかなどの事情が組み込まれていない場面がとても多いからです。
ここに抵抗を感じる人は、「ギブ&テイク」が目的でギブされる場面を苦手と感じることでしょう。
たとえば先の夜の世界の例であれば、つまりお客様を自分のお店に繋ぎとめるために、刺激が少なくなったお客様を信頼できるお店に託し、自分のお店とのつながりを切らせないようにするということでもあります。
もちろん、お客様が望んで自分のお店を増やしたいとしているのなら話は別です。
そういう飲み方を楽しいと思わせることも
プロの仕事のひとつですから。
いっぽうで、全く違ったやり方をする人もいます。
立川ルリ子自身はこちらのやり方でした。
誰も紹介してくれなくても、身内でなくても、お客様が喜ぶお店だったら、どんどん連れて行き、紹介する。
それで自分のお店の売り上げとして見返りがなくても、「お客様が喜んでいる」ということで、自分の「WIN」はもう受け取れるのです。
むしろ、紹介したお客様がそちらにばかり行ったとしても、それは、お客様がそうしたいのだから、「心から楽しめるお店が見つかってよかった」と思うことができます。
返してもらえないときに
ギブ&テイクが苦手な人は、自分自身を冷たい人間なのではないか?と悩むかもしれません。
また、先の夜の世界の例では顕著ですが、それができないことで敵を作る可能性もあります。
「裏切り者」
「恩知らず」
と言われることもあるでしょう。
そして
「〇〇してあげたのに」
「こんなにしてあげたのにひどい」
と言われるかもしれません。
こうした言葉を投げかける人の心の中には、
「ギブ&テイクだから、先にしてあげる」
という感情があったのでしょう。
闇のルールと光のルール
こうしたやりとりは「自己犠牲」しあうという「生贄」を差し出すやりとりです。
つまり、見返りありき。
時に自分を。
時にお金を。
時にお客様を。
そこの流通するお金を得るやりとり。
これを、
「闇のルール」
と定義することがあります。
対して、
「光のルール」
は「自己犠牲のやりとり」は一切行わない関係性です。
光のルールとは
光のルールは、「わたしが嬉しいから、したいからする」そして「受け取ってもらってありがとう」で完了するため、とてもシンプルですごく気持ちがいいのです。
「そうしたい」と相手が言うことを「悪いから」と拒否することもありません。
「したいからさせて」と言われて受け取ると、「させてくれてありがとう」と言われ、「こちらこそだよ」と嬉しくなるという循環です。
相手も同じように、したいこと、自分が喜ぶことを勝手にして、受け取ってもらってありがとう、となります。
そこに、「見返り」というエネルギーは
存在しません。
したことも、されたこともその場で愛となって昇華されるので、いつまでも記憶に残ったりしません。
だから、執着も、後悔もありません。
「〇〇してあげたのに」とか
「裏切り者」とか
「そんな扱いを受けるなんて」
なんて感情が湧く場面はお互いに1ミリもなく、
「与えっぱなしで幸せ」
「受け取りっぱなしで幸せ」
というただ、それが起こるだけです。
だから、何をしてもされても感謝しかない世界になります。
ここでは、違和感を感じることを正直に伝えるのも怖くありません。
逆に違和感を伝えられても、「あなたはそうなんだね」「あなたにはそう見えるんだね」と素直に受け取れることでしょう。
そして、改善したいと自分が感じるならするし、したくないなと思うなら、しないのです。
ただ「あなたが感じる違和感を見せてくれてありがとう」となります。
相手に何かしてもらおうという期待も、与えてあげようという気負いもありません。
「自分と価値観が違った」とか、「それって、私を馬鹿にしてるよね?」とか、そんなこと、思い浮かぶことすらないのです。
光があるからこそ闇ができる
光のルールが当たり前になると、たとえ何が起きても、出来事を自分の価値につなげ、自分を被害者にして自己価値を貶めたり、人のせいにしたりするということはなくなります。
闇のルールは、窮屈さや苦しさを伴うことも多いでしょう。
なぜなら、見返りありきじゃないと成立しないルールだからです。
成り立たなければ、
「〇〇してあげたのに」とか
「裏切り者」とか
「そんな扱いを受けるなんて」
と感じるかもしれません。
それは、何かを犠牲にしていた、という証拠なのです。
もし光のルールが当たり前の人が、闇のルールに生きる人のこういった場面を目の当たりにしても、それをダメだとは思う必要はありませんし、「そういう体験をしているんだな」と思えば良いでしょう。
もし自分自身がそこに何か関わっていたら、単純に「申し訳なかったな」と思うかもしれませんが、それは、自分の問題ではなく、その相手自身のものなのです。
苦しみや嫌悪感から得られるものは多くあります。
闇のルールで苦しいと感じ、嫌悪感が多い人は、逆に光も強いのでしょう。
自らの光で闇を濃くしてしまっているともいえます。
闇のルールの中でしか生きられない人もいて、そこにいるから幸せという人もいます。
そういう体験からギフトをもらいに生まれてきた人もいます。
そこにいる人は、嬉々として生贄を差し出すことでしょう。
また、生贄を受け取ることも喜びます。
そしてそれを「愛」と呼ぶことでしょう。
これは魂から見ると、どちらが正しいというわけでもありません。
何が自分の幸せか、どこに自分をおきたいか。どのくらいの光がいいのか。
全部、魂のプランによって人それぞれなのです。
そしてこれは、恋愛にも言えること。
闇のルールで彼との関係性を作ってしまって
苦しんでいるのなら、あなたの魂のプランはもっと光なのかもしれません。
そして、彼の魂のプランも、もっと光なのかもしれません。
あなたが光のルールに変えてあげることもできますし、その光は調節することもできるのです。
この記事の内容は、立川ルリ子ブログの掲載内容を加筆・編集したものです。
小嶋 由希子
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